tacet、タセット、タチェット、
思えばピアノやカラオケ、TVの音楽番組、ラジオ、音楽の授業をはじめとした「音にふれる」ことは小さいころからしていたけれど、本格的に演奏に取り組み始めたのは13歳のころで、合奏というものをするものの、環境的に取り組む曲も比較的短いものが多くて、あんまり目にしてこなかった文字列。
大学生になって1曲が20分近い曲に取り組んだり、ご縁があってオーケストラに参加するようになって初めて目にしたこの文字列。
みなさま、ぱっと意味わかりますでしょうか。
私自身、はじめは意味の理解はもとより、この文字列を読むことすらできなくて、でもそういうのって、なんとなくノーヒントでいきたいじゃない。
チャレンジ精神、前のめりガールで生きていた当時の自分は、調べることをせずに音符の連なりや曲調、「なんとなく」といった目に見えない、言語化できない自分の感性(いいようにゆうよね。笑)だけを右手に、左手には謎の自信をもって合奏に臨んだのよね。
大学生になるまでは曲中に椅子に座るだなんてしたことがなくって、演奏するか、楽器の前でやけに背筋を正して立っているかの2択で、まさかまさか、休符のタイミングで椅子に腰かけることができる、いわば身体的にも少しまったりとできる時間が演奏中にあるだなって思わなかった。
(このお話はまた今度。結構奥が深いんです。休符中の姿勢とマインド。)
たった数小節でも休符があるとキャビンアテンダントさんも驚きの姿勢で、誰よりも座高を高くと意気込んで座っていましたよね。
あとね、揃えた脚の角度と両手の着地点。
ここも人それぞれ、こだわりの魅せ方があると思うんです。
(もうすでに長くなりそうなので、やっぱりここらへんにしておくね。)
と、そんなこんなで比較的休符の時間の自分の在り方が確立されてきた(と自分では認識していた)ような時期に、ほんの少しは大学生活に慣れてきた、髪を染めて、ピアスをあけて、所謂「大人」に少し足を踏み入れたと、日々がキラキラしてきたと錯覚しはじめたようなタイミングで満を持してやってきた「tacet」。
・・・?
ナニコレ、た、せ?ト?
・・・見たことがある人は想像がつくかと思うんだけど、このtacetの文字列に数字(小節数)はないんだよね。
あるのは黒い横棒とはじめ、おわりをしめす線だけ。テキストでやるとこんな感じ。
I----tacet----I
まず、何をすればいいのか、どんな指示なのかがさっぱりだった私はとりあえず周りを見渡したの、
同じフロアの諸先輩方はみんなすっと自分の一番近くにある椅子に腰かけ、何をするわけでもなく音楽に耳を傾けていて、何が正解かわかんないけど、見様見真似でとりあえず私も着席。
ほぼほぼ初見合奏のようなタイミングの練習だったので、(いいように言えば)チャレンジ精神、前のめりガールで生きていた当時の自分はどこからがスタートでどこまでがその範囲なのかもわからないけどお隣さんが立てば立つ、着席すれば座ればいいか、、のような気持ちを携えつつも、
姿勢における意識の高さから誰よりも頭のてっぺんを天井に近づけながら、数字も、曲のヒントも何もない5文字を横目に、指揮者をながめていた。
幾分か経って、少しずつ自分の中にめばえる「これっていつまでなん」「これでほんまに合ってんのかな」「私、もしかして、落ちた・・?」という焦りにも似たチリチリした気持ち。
※「落ちる」=「曲がどこまで進んだかわからなくなること」「演奏場所を見落とすこと」
チリチリした気持ちを抱えつつも、他の奏者や曲そのものにこの焦げそうなちっちゃなハートは微塵も影響することなく(当然です。笑)、指揮者が棒をおろしたのを見て「あ、tacetって全部休みってことなんや。」と理解しました。
、、、今思えばこれが最近はやりの探求型学習ってやつなんかな。や、どちらかというとアクティブラーニング・・・?
実践タイプの学習ができたんじゃないかと思います。大事だよね、やってみて知って理解するというサイクル。
合奏に乗るにあたっての前準備として、「譜読み」というものがあるかと思うんだけど、それは音の並びを把握する、音符を読むだけじゃなくって、書かれている文言の意味を知ることで曲が伝えたいこと、演奏時に求められるであろうことをある程度把握する、奏者として心構えをすることでもあるんだよね。
いまさら遅いと思いつつ、合奏が終わったあとに調べてみました。
「tacet」
声や音を出さない、という意味のラテン語だそうなのですが、楽器や声を出さないことを示すことばだそうです。
私の理解としては「おやすみタイム」ってとこでしょうか。雑かな・・?
ラッキーなことに、私の取り組む楽器はある程度休符や「tacet」が出てきやすいポジションで、曲にもよると思うけど、音や楽器が溢れるバンドサウンドの中での「tacet」は物理的にも、精神的にも、なんだか色々なことを顧みたり、没頭できたり、貴重な時間だよなあ、と思う。
仲間であるバンドメンバーの演奏している姿を間近でみたり、きれいな音にふれたり、空気の振動を肌で感じたり、色んなことができるよね。
休符とは全然違うんだなあ、感覚的な話だけど。笑
だけど忘れてないよ、私も参加しているってことと、「tacet」しているときも舞台の上にはあがっていて過ごしている姿勢も音楽のひとつだっていうこと。
20分近い曲をずっと聴いているのは難しいときだってあるかもしれない。奏者側だって体力的にも難しいときがあるかもしれない、ただ、その裏側ではめぐりめぐっていただいた貴重な「tacet」を片手に、バンドの音楽を楽しんでいる人が1人はいるかもしれないので、「長いなあこの曲」「眠たくなってきた」といった気持ちと同じくらいの割合で「ほんまにtacetなんやろか、あまりにも座り過ぎちゃう?」「あいつたぶん落ちてんちゃうかな」とか、色んな想像をめぐらせてみてください。
色々と書いてたらなんだか合奏に乗りたくなってきました。
ここ数年、楽器を演奏するという点では人生におけるtacet timeだったなあと思うわけですが、「tacet」は止まっているわけではなくって、落ち着いて、周りを見て、聴いて、次にすすんでいくための時間でもあると思うから、少しづつでも、いわば「adagio」レベルで音楽と一緒に生きていけたらなあって感じ、です。
長くなりましたね。
「adagio」、調べるもよし。アクティブに学ぶもよし。
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